“8月20日は私の58回目の誕生日でした。
少年時代を思い出し、両親のことを記してみました”
私は、父と母が大好きでした。
どんな時にも無条件で私を愛してくれている、安心して甘えることのできる、それが私の両親でした。
私の小さい頃、母は厳しい人でした。
友達に泣かされて戻ってくると、「男の子ならやり返してきなさい」と、もう一度家の外に追いだされたことがあります。小学校低学年の頃、母は、いつも、つきっきりで勉強を教えてくれました。漢字の書き取りなど間違えるたびに、ピシリとぶたれました。
それが、高校生になった頃からは、一転、見事に何も言わなくなりました。私のやることに一切口出しをしませんでした。若いころ代用教員だった母は独自の教育哲学をもっていたのかもしれません。
父はめったに怒ったことがありません。殴られた思い出もありません。強くて、優しくて、それでいながら威厳があって、誰からも好かれる誠実な人でした。
仕事の好きな父でした。「男は仕事が第一じゃ」これが父の口癖でした。出張が多い父でした。長く家を留守にしていた父が帰ってきた時は、なんだか近くに寄るのが恥ずかしいような、甘えるのが憚(はばか)られるような、不思議な感覚に襲われたものです。ヒロタのシュークリーム、天津甘栗、ミニチュアカーなど、いつも楽しみに待っていた父のおみやげの数々です。
また、私は、父と母が、喧嘩をしているところ、言い争いをしているところを、見たことがありません。本当に仲の良い夫婦でした。
父の腕にしがみついて、頬を擦り寄せながら、「おかあちゃんは、お父ちゃんが大好き!本当にお父ちゃんと一緒になってよかったと思うちょるんよ」と母が言うと、それに応えて、恥ずかしそうに「えへへへっ」と照れている父の姿。
子ども心に、それがどれだけうれしかったことか。親の仲がいいことが、どれだけの安心感を私と妹たちに与えてくれていたことか、今になってようやくわかる私です。
もう一つ、私が何より親に感謝していること。
それは、どんな時にも私を無条件で信じてくれたことです。どうして、そんなに信じてくれるのかこちらが恥ずかしくなるくらいに、絶大な信頼をもって私を見守ってくれていた、父と母。
勉強を怠けてアルバイトに励んでいたときも、友達とお酒ばかり飲んでいた時も、「勉強大変じゃね、頑張るんよ」と、小遣いの入った手紙を東京の下宿へ送ってくれていました。
これだけ信じてくれている両親を裏切ることが、どうしてできましょうか。
まじめに生きていかなければバチが当たるではありませんか。
私は、父と母が大好きでした。
いつまでも親は生きていてくれるものとばかり思っていたのですが、母は50歳で、父は61歳で、ともに若くして亡くなりました。
でも、私の心の中に、あの優しかった両親は、今もしっかり生きています。
「けんちゃん、がんばるんよ!」
「けんいちろー、やるんぞ!」
私の耳には、二人の声が、今もしっかり聞こえてくるのです。
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